大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成5年(行ツ)71号 判決

和歌山市雑賀屋町東ノ丁三〇番地

上告人

和歌山県漁業協同組合連合会

右代表者理事

吉崎義治

和歌山県西牟婁郡串本町〓野川一一八七番地の一

上告人

出口和美

同西牟婁郡串本町串本二三五〇番地

上告人

西下英一

同田辺市下三栖一四七五番地の一四三

上告人

有限会社 松金運送

右代表者代表取締役

高岡義則

右四名訴訟代理人弁護士

中川利彦

同弁理士

富田修自

兵庫県川西市緑台三丁目二番地の九五

被上告人

有限会社 瀬戸

右代表者代表取締役

庄子武美

庄子久光

右当事者間の東京高等裁判所平成三年(行ケ)第三一号審決取消請求事件について、同裁判所が平成四年一一月二六日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人中川利彦、同富田修自の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大野正男 裁判官 園部逸夫 裁判官 佐藤庄市郎 裁判官 可部恒雄)

(平成五年(行ツ)第七一号 上告人 和歌山県漁業協同組合連合会 外三名)

上告代理人中川利彦、同富田修自の上告理由

一 原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな経験則違背の違法があるから、破棄を免れないものである。

(一) 原判決は、その第一三丁裏第三〇行から第一四丁表第五行に

〈1〉「 前記3掲記の各証拠によれば、佐々木が昭和四八年一一月四国機器株式会社から割賦販売により三菱トラック(香一一さ第二八二七号)を購入したこと、佐々木がその頃米田利忠の助言に基づき野口造船に発注してこのトラックに防熱水槽を取り付け、その後魚の輸送を始めたことは、間違いない事実として確定することができる。」

としながら、同第一五丁表第一~六行において

〈2〉「 そうすると、佐々木が三菱トラックを購入したのが昭和四八年中であることが明らかになったからといって、直ちに検甲第一号証のカゴが製作され使用に供された時期が本件出願前であるとの結論には結び付かず、検甲第一号証のカゴが本件考案出願のされた昭和五〇年二月一〇日より前に製作使用されていたことを示す証拠は、結局佐々木内記及び米田利一の各供述のみであるということができる。」

とし、この供述の信憑性について、同第一五丁表第八行から同丁裏第一〇行に

〈3〉「 しかしながら、子細に調べてみると、本件において最も重要な佐々木内記の供述を内容とする証拠の中ですらも、同人作成の報告書である甲第四号証の二と同人の審判手続における証人調書である甲第一二号証とでは、佐々木が米田利忠と相談してトラックに載せた水槽にカゴを付けることを決意した時期が、前者では四トントラックの購入前とされているのに、後者ではその購入後であるとされるなどかなり重要な部分に食違いのあることを見つけることができる。また、その甲第四号証の二と甲第一二号証によれば、佐々木は、活魚の運搬に用いる水槽に入れるカゴのことを何らかのメモ、書面等に残していたわけではなく、活魚販売業を辞め故郷を離れた後相当の年月を経た昭和六一年二月頃に至り母校の後輩に当たり、親交のあった米田利一から依頼され、手元に全く資料を持たないまま遠い往時のことを回顧してカゴについて述べるようになったにすぎないことが認められる。そうしてみると、佐々木内記の供述の信憑性殊に供述の細部の信憑性には十分疑問を差し挾むべき余地があるといわなければならない。」

としている。

右に引用した〈1〉の部分で原判決が間違いない事実として確定しているところからも知れるように、佐々木内記は昭和四八年七月に船員をやめ自ら主体となって活魚販売業を初めて一ヶ月ほどで二トン車の不備に気づき、その改善策として早速同年一一月までに三菱トラック(四トン車)を購入し、同時に野口造船に防熱水槽を取り付けさせて当時としては新しい魚の輸送法を行なっている。開業してわずか四ケ月後に新しい策を取入れ実現させた事実は、当時の佐々木内記の若さ、商売への進取的意欲、そして敏活な性格を表わしているといえる。

ところが、右引用の〈2〉部分において原判決は「佐々木が三菱トラックを購入したのが昭和四八年中であることが明らかになったからといって、直ちに検甲第一号証のカゴが製作され使用された時期が本件出願前であるとの結論には結び付かず」とし、これに関する最も重要な証拠である佐々木内記の供述を信憑性なしとして斥けているが、これはいいかえれば、昭和四八年の暮頃から丸一年も或いはそれ以上もバラ積みの不便さ、非能率を我慢しつづけながら佐々木が活魚輸送及び販売を続けていたと推定しているが如き判断である。七月に新しい商売に入り、わずか四ケ月で新車に切り換えるような人間が一年も或いはそれ以上も不便を放置していたと考えるのはきわめて不自然であり、原判決の右引用〈2〉部分における事実の推定には明らかに経験則に反する違法があるといわなればならない。

(二) 原判決の第一六丁表末行から同裏第四行では

〈4〉「佐々木内記及び米田利一の各供述中右の時期の点に関する部分の信憑性の判断は特に慎重にならざるをえず、他の裏付証拠のないまま佐々木内記及び米田利一の各供述のみによって佐々木が昭和四九年中に検甲第一号証のカゴを製作し、使用したと認めることはためらわれ」

としている。要するに、昭和四九年初頭に佐々木と米田利一が協力してカゴをつくったという時期の証言は信用できないとしているのである。

これに対し、同第一六丁裏末行から第一七丁表第一行では

〈5〉「証人米田利一の証言によれば、佐々木のトラックの水槽に入れたカゴはほぼ同一の大きさであったことが認められ」

とし、また同第一七丁表第七~八行では

〈6〉「 ところが、証人佐々木内記の証言によれば防熱水槽の幅は二メートルであったことが認められ」

とし、最後に同第一八丁表第一行から第四行では

〈7〉「しかも、佐々木は、審判手続において、防熱水槽の長さが四メートル八〇センチ、幅が二メートル、高さが六八センチメートルあったと細部にわたり明確に証言しているのであり」

としている。

そもそも、佐々木及び米田利一とも、証言しているのは、自らカゴを作った時から一五年又は二〇年近くも経った時点でである。これは、本件考案が実用新案登録を受けた後、かなり経った時点で本上告人らが当時の実用新案権者からカゴの使用について警告を受け、初めてこの種のカゴに実用新案権が成立していたことを知り、それから初めて過去の記憶や経験、知人を頼って証拠集めをし、無効審判を提起し、本訴に及んだ経緯からして当然のことである。本上告人らは全く善意且つ無防備に活魚運搬業を本業として営んでいただけであるし、また佐々木及び米田利一にしても、自分らのかかわったカゴを新規な考案であると意識したことなど毛頭なく、ただ製作し使用していただけであるから、書証や物証が用意されていないのはむしろ当然である。一般に船員、活魚販売業、或いは鉄工所などを、特にのんびりした地方で営んでいた者にとって、本業の中で使用されるとはいえ、比較的軽微に思われた用具(カゴ)について、ことさらメモや図面を用意して有事に備えるなどということは通常考えられないところであり、結局記憶を呼び起こして証言するしかないものである。その記憶の中に当時の佐々木の店舗の跡地を思い出し、そこへ行ってみてカゴの残りを発見したことから、自分らの記憶に間違いがないことを知って、証言しているのである。

このような状況の中で記憶を呼び起こしたとすれば、経験的に考えられるのは、新しいことをした年代の記憶は比較的はっきりしているのに対し、物の寸法などはどこかで実際とは違っていてもむしろその方が自然と云える。特に、本件で問題になっているカゴは、少なくとも佐々木や米田利一の記憶では当時誰かが実施していたことから学んだのではなく、自分達で初めて考え自分達で初めて作ったものであるし、またそのことは佐々木が船員をやめて活魚運搬・販売という事業を新たに展開した年に直結している事実であるから、間接事実である新車購入の時期が定まれば、その次の正月であったと思い出してした証言こそはむしろ正当真実であると判断するのが経験上至当であるというべきである。それにもかかわらず、記憶以上に書証としての証拠を要求されることは不可能を強いられるのに等しい。

そして原判決は、前記引用〈4〉部分で、佐々木及び米田利一の時期に関する供述は信用できないとして斥けていながら、それにもかかわらず、前記引用〈5〉〈6〉及び〈7〉の各部分では、寸法に関する供述は信用できるものとして採用している。これは、偏頗な判断との誹りを免れないだけでなく、経験則に対する重大な違背であるといわなければならない。

二 こうして原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな経験則違背の違法があるから、破棄されるべきものである。

以上

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